修正液と修正用品の歴史 文房具豆知識
修正液 誕生から修正テープの普及まで
最近はパソコンやワープロの普及で、自分の手で字を書く、と言う行為がとても少なくなっていますが、それでも皆さん、折々字を書く機会があるでしょう。そんなときに避けて通れないのが、「書き間違い」。人間が書いているのですから、これは、なくしようがありません。鉛筆やシャープペンなどなら、消しゴムで消せばいいのですが、ボールペンや万年筆などの筆記具、タイプライターは消しゴムでは消せません。困ったことに大事な文書ほど、こういった筆記具で書かなければならないんですよね。書くときにとても緊張してしまいます。
アメリカのある秘書の女性もそうでした。ある経験から、こんにち、誰もが使う「修正液」を作ったのです。今回は修正液の始まりと、その後の広がりのお話です。
1950年代、この頃のアメリカでは、文書をタイプライターで打ち出すのが一般的でした。英語には26文字しかなく、比較的簡単にタイプライターが作れたので、とても普及していたのです。
そんな中、テキサス・バンク・トラストという銀行で秘書をしていたベット・ネスミス・グラハムさんという女性がいました。彼女は元々芸術家志望で、絵を描きたかったのですが、第二次大戦後、離婚してしまいました。子供を引き取ったので、一人で子供を育てなくてはならなくなり、速記とタイプを学んでここで働いていたそうです。この方、だいぶおっちょこちょいだったようで、頻繁にタイプの間違いをしていたらしいです。
当時、タイプを間違えると、最初から打ち直すのが普通でした。ただ、緊急避難的に、白い粉をつけた紙を挟んで間違えた字と同じ字を打つ、と言うこともされていました。機構的に、全く同じところに字を打つことが出来るタイプライターならではの処置ですが、当然これでは見栄えが悪く、万全ではありませんでした。
そんななかで、ある日彼女は、大量の大事な書類を打つ仕事をしていました。当然、タイプミスをするたびに打ち直しや修正などで時間をとられてしまいます。作業の進行がそのたびに止まってしまうので、だんだんイライラしてきました。
いい加減何とかできないものか、と考えた彼女は、ふと思い出しました。自分の好きな絵画。絵描きさんは、塗った色を変えたいときは、その上に違う色を塗り重ねる。これは間違いの修正に似ているんじゃないかしら。。。そこでひらめいたのです!そうだ!
「紙と同じ色で塗りつぶしてしまえばいいのでは!」
翌日から、彼女は自分の絵の具と筆を持参して出社しました。実際に間違えた所に白い絵の具を塗ってタイプを打ち直してみると、これが大成功!今までの粉を使って修正するよりもきれいで手軽。なによりすばやく修正できて、作業の手を止めることがない。これは便利だわ!と彼女はそれからずっと使い続けることにしました。
これが1951年(昭和26年)のことです。彼女は自分の趣味からヒントを得て、白い絵の具を間違った字に塗って、その上に正しい文字を打って打ち間違いを直し、無事、書類を完成できました。そればかりか、「修正液」を発明した人にもなってしまったのです。
この修正液は同僚からも高評価を得て大人気になり、「私にもちょうだい!」というお願いがひっきりなし!
この最初期の修正液は、彼女のキッチンでミキサーを使っての手作りでした。実はベット・ネスミス・グラハムさんは、「モンキーズ」のギタリスト、マイク・ネスミスさんの母親です。瓶詰めの作業は、若いマイクさんも手伝っていたんだとか。
しかし、注文はどんどん増え、個人の生産能力では追いつかなくなるほどになりました。そしてついには彼女は、1956年(昭和31年)にミステイクアウト社を作り、会社として商売を始めました。『ミステイクアウト』、後に『リキッドペーパー』と名づけられたこの商品は爆発的にヒットし、『修正液と言えばリキッドペーパー』と認識されるまでになりました。
修正液の元祖リキッドペーパーゴールド
(現在は生産終了となっております。)
ハケ式とペン式、両方が使える リキッドペーパー2in1
(現在日本に輸入されておりません)
注) マニキュアが発明のきっかけだった、という 別の説もあります。
実は、当サイトでも以前、この「マニキュア」説を元に、このページを書き上げていたのですが、その後、「絵の具説」を知りました。いろいろ調べてみてもどちらが本当か良く分からなかったので、米国の現在のリキッドペーパー総販売元の、ペーパーメイトに問い合わせました。すると、どうやら「絵の具説」が本当らしい、という返事を頂きました。そんなわけで、正しい情報を載せるため、このページを改訂させて頂きました。
リキッドペーパーは、1952年(昭和27年)に丸善によって日本にも輸入されました。しかし、タイプライターを念頭に置いて作られたこの商品です。あまり筆記には向いていないようでした。それを筆記用に改良できないか、と考える人は多かったのです。
日本ではまだ日本語タイプライターがありませんでした。漢字やカナ、ひらがなと、豊富な文字を持つ日本語は、たった26個(厳密には違いますが)のキーで済む英語とは違い、タイプライターを作るのは大変だったからです。なので、手書きの筆記の書き間違いに使われるようになったのですが、塗って乾いた跡に書こうとすると、書きにくかったらしいのです。特に万年筆のインクなどには相性が悪かったようです。
※ただし万年筆の修正用には、化学変化でインクの鉄分を分解する修正薬品がありました。ロイド(旧クロンボ)、ガンヂーなどがそうです。 このうちカズキ高分子(丸十化成なきあとの生産会社)のガンヂーは今でも販売されています。あとは砂消しがありますが、最近の砂消しは紙面の損傷も少なく、高性能になっています。
そこで1970年(昭和45年)、丸十化成が、日本の筆記に適した、国産初の修正液ミスノン600を開発し、発売しました。その後、他社も続々参入し、1980年(昭和50年)には、ぺんてるから、今でも続いて販売されている、有名なボトルタイプが発売されました。元々、前述のようにタイプライターなどの機械がなく、手書きの習慣が多かった日本にはぴったりの商品だったようで、特に論文を書く学生や研究者から、修正液は広く世間に広まって行きました。
もう50年以上の歴史を持つ修正液ですが、永遠の課題は「乾きが遅い」ことでした。いや、近年は乾きが遅いということはないのですが、塗っても、乾くまでは字が書けませんから、少しの間でも長く感じるんですよね。また、ペン式の物は先端が固まってしまって中身が出なくなる、ということも多々ありました。長く使っていると、先端から紙の繊維などが入り込んで隙間を作ってしまい、そこから空気に触れて固まってしまうのです。(症状が軽ければ指で乾いた部分を剥がせば元通りになります。)
この永遠の課題を克服したのが、1989年(平成元年)に消しゴムメーカーのシードゴム工業から発売された修正テープ ケシワードです。日本の発明品だったんですね。薄いテープを貼り付けるだけなので簡単で、しかも乾くのを待つ必要がないため、修正テープは各社が販売に参入して爆発的に普及し、現在では修正用品の主力になっています。(修正テープを剥がしたいときは、砂消しを使うといいですよ。)
昔から、日本人は現在あるものをもっと使いやすいように作り変える、ということがとても得意でした。この修正用品についても、そのことが当てはまります。それにしても、液体だったものをテープ式にしてしまうとは、驚くアイデアマンぶりです。普通誰も思いつきませんよ。特に何かを参考にした、という話は伝わっていませんが、当時インスタントレタリング(こすって文字を転写するもの)は既にありましたから、もしかしたらそんな物からヒントを得たのかもしれませんね。
なお、黒いラベルのボトルでお馴染みだったリキッドペーパーゴールドは廃番のため生産終了となり、その他のリキッドペーパー製品も、今のところ日本への輸入は終了しております。