接着剤のパイオニア セメダインCの歴史

接着剤、というと連想するのは皆さんどんな商品でしょうか?まずほとんどの人が上の写真のセメダイン株式会社の「セメダインC」を思い浮かべるのではないでしょうか。なにしろ日本の化学接着剤の草分け的存在という、歴史のある製品です。子供の頃によく使った、という人も多いはず。パッケージデザインにしても、「チューブ入りで、黄色地に赤文字でセメダインC」という構成は、あまりに定着しすぎていて変えられないといいます。この製品にはどんな歴史があったのでしょうか。
この製品の始まりは、なんと大正時代までさかのぼります。
当時、日本には、アメリカ製の「テナシチン」、イギリス製の「メンダイン」など外国製の接着剤しかありませんでした。そんな時代、セメダインの創業者である今村善次郎氏は、「なんとか国産の接着剤を作りたい」と、ニカワをベースに新しい接着剤を作りました。それが「セメダインA号」です。なんと100年近く前の大正12年(1923)のことでした。
もう既にここで「セメダイン」という言葉が出てきますね。これは、結合材の「セメント」と、力の単位を表す「ダイン」との合成語といわれています。また、メンダインなどの外国製品を「攻め」「出す」という意味もあったようです。いや~接着剤に対する熱い思いが伝わってきますね。
ちなみに、当時は接着剤という言葉はなく、結合材などど呼んでいたようです。「接着剤」という言葉を発明したのも、今村氏といわれています。
さて、できあがったセメダインA号ですが、そこそこ使えたらしいのですが、当時の外国製品と同様に弱点を抱えていました。
それは、耐水性と耐熱性です。今村氏は、海外製品の上をいくためにもこの欠点をなくすことは是非とも必要だ、と思い、さらに高品質の製品にするために製品開発に没頭しました。
そして昭和13年(1938)、ついに有名な「セメダインC」の開発に成功。発売に踏み切りました。(当然「セメダインB号」もあったんですが、失敗作だったとか。セメダイン社内にも実物はなく、謎に包まれていたB号は、2020年9月に九州の民家で偶然発見されました。今後、詳細が調査されていくことと思います)
この時期に発売できたのは何とも良いタイミングでした。当時の子供たちに模型飛行機の大ブームが起こっていたのです。当然、今と違って、全部自分で一から作る物でしたから、接着剤が必要になってきます。それにピッタリだったのが「セメダインC」だったのです。このおかげで会社も急成長!世間にも急速に広まって行きました。
しかし、時は戦時中。だんだん物資が不足してきました。特に、原料の一つの「硝化綿」が、火薬にも使われるため、乏しい状況でした。そこで社員の人達は、硝化綿から出来ている映画フィルムを集めるため、東京中をリヤカーをひいて集めて回りました。それでも、戦火が激しくなると物資の不足は更に深刻化し、ついには生産を旧型の「セメダインA号」に切り替えざるを得ない苦しい時期もあったそうです。
戦後は再び生産を「セメダインC」に戻し、模型飛行機ブームの再来もあって、会社は成長を続けました 。
しかし、高度経済成長期のこの時期から、工業用接着剤の需要が伸び、会社の売り上げに占める「セメダインC」の割合は少なくなってきました。それは現在まで続き、一時は20%あった割合は、現在では1%程度だそうです。
そんなに少ないなら、やめちゃえばいいのでは?こんな疑問に対して、セメダインの社員の方はこう言います。
「セメダインCは会社発展のきっかけになったシンボルです。絶対生産はやめません。会社の名前もこの商品から取っているんですから。」
創業者の今村善次郎氏の、外国製品を「攻め」「出す」という熱い情熱は、今の社員にも確実に受け継がれているようです。
現在は株式会社セメダインの主力は工業用接着剤です。自動車などの部品の接着、建築の部材の接着など、皆さんの身の回りのあらゆるところで使われています。業界のシェアも相当なものだそうですよ。
しかし、家庭用製品も負けてはいません。ぞくぞくと新製品が登場しています。どれも実際使ってみましたが、確かな製品です。(ホントよくつきます)
接着後に弾性を発揮し、剥がれにくい「スーパーX」、
それを瞬間接着にした「ペグアルファ」 、
今まで つかなかったものを接着できる「PPX」などなど
個人的に、一番信頼できる接着剤を作っている会社だと思っています。